千の旋律、千の悲哀、千の記憶Dear Loneliness Leave Me Alone

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あらゆる肉のなかにある、永遠の一角獣をさがすんだ! 15:17
 「大変だ!早くしないと奥菜恵が20歳になってしまう!」なんてフレーズが躍っていたのは、遡ること13年前のこと(ただし字句はうろ覚え)。今ではその出自から大幅な転向を果たしてしまった「H」誌(Rockin’On社)創刊2号だ。特集『LOLITA'94「みんなロリータ!」』。米代表ロリータがクリスティーナ・リッチ、英代表にShampooの二人、そして日本代表として当時14歳だった奥菜恵が選ばれ誌面に登場していた。


 「打ち上げ花火 上から見るか?横から見るか?」によって、そのニンフェット性が注目を集めたが、上記H誌をはじめとする一部からの期待は、生来のニンフォマニア開花によるビッチ化によりあえなく撃沈したというわけだ(同様のことは少年マガジンにおいて鮮烈なブルマ姿を見せた深田恭子15歳の辞書に、「マリー・アントワネット」という項目はあっても「貞操」はなかったことに等しい)。


 話が大幅に逸れはじめたので強引に戻す、ただ「H」誌のフレーズ(しかもうろ覚え)を援用したかっただけだ。上記を2007年現在の地平で換言してみるならば、こうなるのではないだろうか。



「大変だ! あと三ヶ月で新垣結衣が高校を卒業してしまう!」

 昨年後半におけるCMガールズの話題を独占したのは彼女であることは、誰の異論もないはず。その契機となった作品、江崎グリコ「極細ポッキー」は、第一回Invitation AwardのCM部門を受賞するなど、多くの人が目にした瞬間に瞠目した結果ゆえのこと。


 「マイ★ボス マイ★ヒーロー」最終回が23.1%という数字を取った半月後のオンエア開始という、仕掛けのタイミングが絶妙すぎて、「満を持して、そしてここしかない!」という事務所と広告代理店と彼女に関わったメディア関係者全てによる自信と願いが混然一体となった異様なエネルギーを感じとったものだ。彼らは新垣結衣という才能に託したのだ。2006年を席捲した「ハタチ女優」ムーブメントに対するカウンターとして。それは映像を見るに明らかである。


 天衣無縫なダンス。無邪気な笑顔の連打。身体の半分近くを占める長い足を最大限にまで生かした反則スレスレの衣装(同時に世代トップクラスの貧乳を隠すための苦肉の策。絶妙と思ったらやはりソニア・パークの仕業だった)。適当で能天気な音楽。商品を模しただけの無機質なセット。それら全てが新垣結衣を引き立たせるためだけに生み出されたものだ。


 視聴者の大半がアドリブと思ったに違いないあのダンスが、実はコレオグラファーによる綿密な振り付けがなされており、彼女の特訓の末に演じられたことはCMのメイキングを見る必要がある。彼女の生真面目な性格が窺える、連夜に及ぶそのダンス練習の模様を踏まえると、CMの陽性に陰性が加味され見事なまでの陰陽太極図が完成する仕組みだ。


 だが、いつの頃からか、彼女の中に陽性のみを見出そうとするメディアの流れが気になって仕方がなかった。プレイボーイが突破口となった数々のグラビアと写真集? バラエティに挑戦した「落下女」(はちょっと違うかな)? 「セノビー」のCMが端緒となったのかもしれない(記憶されてる方は少ないだろうが)。そんな作られたイメージに、新垣結衣という素材を抑え込んでしまってはいけないと声を大にして警鐘を鳴らしたい。明るく元気なだけの彼女は、蜃気楼みたいなものだ。掴もうとすれば消え去るだけ。弾けるような若さを迸らせている「ポッキー」のイメージは即刻封印したほうがいい。おとなしく人見知りな、生真面目で熱心な、ときにアパシーに見舞われる、彼女の本質を発揮させるような方向性を強めてほしいのだ。


 衝撃のCMデビューを思い出そう。2003年陽春、今から4年も前のこと。大王製紙「エリエール 失恋篇」。これについて一本道ノボルになる前の暢平はこう記している。「奇妙な盲目の小さな乳房」より当時の年間CMランキング解説から抜粋。


  ちなみに4位は失恋して泣きじゃくる新垣結衣とミスチルの「名もなき詩」の組み合わせとカメラワークが鮮烈な印象を残し、この春に爽やかな風を吹き込んでくれた大王製紙エリエールティッシュ「失恋編」がランクイン。今年一番泣けたのはこのCMであるし、俺が一番好きなのもこのCM(一番好きなものが1位とは限らない)。


  大好きな先輩が昇降口で彼女とキスしているところを目撃してしまった女の子が笑顔→泣き顔へとシフトする繋ぎのカットに、坂道を駆け上がらせた演出家とそれを後ろから捉えたカメラ(この感性に最も近かったのは近年では高橋マリ子の映画「世界の終わりという名の雑貨店」で彼女達の制服姿を膝の裏側中心に切り取った写真家の大橋仁だ)の素晴らしい仕事に俺は絶え間ない拍手を送ろう! あの「タメ」で30秒のCMに大きな物語性が生まれた。ガッキーが唯一発する「せんぱい・・・」という台詞がなんともいじましい。もう何百回見たかわからない。


  「あるがままの心で生きようと願うから/
   人はまた傷ついていく/
   知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中で/
   もがいているなら/
   誰だってそう/
   僕だってそうなんだ」


  というサビの歌詞に呼応するかのように、哀しさで胸が痛くて、でも憧れの先輩に告白することさえ出来なかったもどかしい気持ちと、もしも勇気を出して伝えていたらという「たられば」の想像が渦巻き、そして溢れ出る涙が感情の奔流を表現している。何と言っても、このCMの白眉な点は、ティッシュが宣伝すべき商品でありながら、それを使用しているようなイメージカットを全く強調しなかったことだ。開けられた窓から入る初夏の風に吹かれ揺れるティッシュ(箱入りの)。だが、ガッキーはそれを使うことさえままならず、ただただ泣いている。涙は拭かない枯れるまで、という失恋でしか起こりえないような現象を忠実に再現している。視聴者は容易に連想する。晩御飯食べるのも忘れるくらい、嗚咽を漏らしながら泣く少女。気が付けばお腹が鳴り、そういえばご飯まだだったんだ、と台所へ向かう。ラップがかけられたガッキーのぶんの夕食がぽつんと置いてある。手を洗おうと洗面所で、鏡に映った自分を見て、その真っ赤に腫らした目を自嘲気味に笑う。それまで手がつけられないくらい泣いていた感情から、一転、食欲充足という人間本能の極端な移行。そんな物語を描くことができる。女の子は、どんなに派手に転んでも立ち上がって欲しい。俺はそんな願いをいだくし、ガッキーという子はそれを体現することができる、少女の代表ともいえる。そんな選ばれた笑顔の持ち主である。 そして俺が大好きな女の子はそんな風に逆境に負けない強さを持とうと頑張っているタイプであるわけだ(翻って笑顔が素敵な)




 この「エリエール」ラインを踏襲した抒情性豊かな彼女のCMが見たくてたまらない。ここでようやく冒頭の叫びに戻る。卒業してしまうということは、高校生ではなくなってしまうということだ。つまり、春には新しい道を歩みはじめることに他ならない。だから、これから書くCM提案はもう手遅れでしかないのだけれど、彼女の抒情性を最大限に引き出してくれる幸福な企業、それはネスレジャパンホールディングでしかなかった。この季節のネスレといえば、「きっと、サクラサクよ。」というキャッチコピーが躍る、キットカットの受験生応援キャンペーンを思い出してほしい(ちなみに今年は北乃きいに白羽の矢が立った)。昨年は木村カエラの「You」に乗せて流された受験生へのメッセージを集めた映像が白眉すぎて、胸が熱くなったものだ。


 コラボレーションやシャッフルといったギミックによるCMの潮が引き、新たな流れを模索する現在、海外で着目されているバイラルCMは日本でもかなりの確率で制作されるだろう。俺は、このキットカットの「きっと、サクラサクよ。」キャンペーンを、ドキュメンタリーCMで制作してほしいと考える。よくあるCMができるまでのドキュメンタリーではない、ドキュメンタリーのコンテクストを用いたCMだ。キットカットでドキュメンタリー風(バイラル)CM。これはまんまアメリカのキットカットのパクリであるが、それがどんなものかについて説明を以下に。映像はこちら。真実一郎さんが「インサイター」にて紹介されていたアドレスを。ヴィクター&ロルフがH&Mとコラボレーションしたアイテムの発売日当日、開店と同時に(H&Mの)店舗につめかける人・人・人。かつてカール・ラガーフェルド、ステラ・マッカートニーとコラボレーションしてきたそのシリーズの人気の高さがうかがえる(だって俺が○万で買ったV&Rのコートと、素材は違えど同じデザインの物がH&Mのなら日本円で1万ちょっとで買えるのだ!)。カメラは店の中へ果敢に踏み込む。どのブースもまるでセール時のような押し合いへし合いせめぎ合い。そんな人いきれでむせ返るほどの店内で一人我関せず佇む男がいる。赤い袋を手に持ち、何かをおもむろに食べはじめる。ズームするカメラ。手元を映す。「KIT KAT」だ。そこで入るテロップ「Have A Break Have A Kit Kat」。シュール!


 実際の発売日にゲリラ的に撮影されたこの映像は、YouTubeを通じて世界中へ流れていった。お茶の間で流れない、CM。発想力が問われよりアイディアが研ぎ澄まされ、フットワーク軽く制作できる新しい形態の萌芽。これを見て全てが結びついた。ドキュメンタリーとキットカット、その組み合わせを日本で翻訳するなら? 「きっと、サクラサクよ。」で展開するなら? 誰もやっていないことをやってのけるなら? それはもう、一人の受験生が実際にサクラをサカせるまでの一年を追ったドキュメンタリーでしか有り得ない。1年というロングスパンのドキュメントは、テレビ番組でならあるが、それがCMであってはならないという道理はないのではないか。平成のデコ娘が椅子から飛び降りるCM、私はトライ「でした」ではダメなのだ。それが過去形じゃなんの説得力もない。結果が出た後の満面の笑みほど醜悪なものはない。それがデコ娘であっても、だ。156時間みっちりマンツーマンでやったのなら、だったらそこにカメラ入れろよ、と。カメラ回せよ、と。それを見せてこその説得力だろうと俺は思う。違う? オファーする段階からそれを提案しろよ、代理店さん。無茶は承知でやろうよ、面白いこと。あんた等が真っ先に面白いことやらなきゃ、誰がやるんだよ。と、矛先が見当違いへ向かいそうになるのを収めて話を戻す。


■■


桜の花弁舞い散る木の下でそれを見上げる新垣の構図、そこから伺える決意の表情。美麗な桜に一年後自分も咲かせることを重ね合わせる。仕事の合間に勉強しているところ(ロケバスの中など)、台本と参考書(とキットカット)がアップになるカット、真夏の予備校に半袖のカッターシャツ。模試の結果に落ち込んでいるところ、散り落ちた枯葉の中を単語帳片手に下校、そして冬。待ち構えるはセンター試験、二次試験。合格者番号が張り出された掲示板を見上げる新垣、その結果は・・・・。


■■



 桜からはじまりサクラの結末で終わらせる。四季および時間の移ろいと少女の格闘をわかりやすく映像に落とし込む。手持ちカメラのリアリティある映像の方が、むしろ効果的。これら膨大な時間を30秒に凝縮する。1秒たりとも無駄なカットは作らせない。それを彩るCMソングはリリカルなものが望ましい。少女の視線のその先を、つまり彼女が飛び込んでいかんとする未来を、暖かく優しく包み込むようなものが。未来と過去のちょうど狭間の立ち位置を、如実に音像化するようなものが。新生活への希望と、高校生活への訣別にともなう後ろ髪引かれる想いが綯い交ぜになった音。すなわち、メランコリーではなくセンチメンタルな音色。一聴して胸を鷲づかみにされるような、そんな強力な殺傷力を有したものを用意できたら完璧なんだが。・・・・・・。Tamas Wellsの”Valder Fields”とか(ぼそっ)。Metropolis Nowの”Another Tomorrow”とか(ぼそぼそっ)。身内贔屓というなかれ、この2曲のセンチメンタリズムに勝る楽曲なんて昨年全音楽シーン隈なく見渡してどれくらいあったよ!?という域なのだし、なにより映像喚起能力が高い楽曲こそが相応しいと思うのだ。まあ、俺は現在の邦楽に関しては全くわからないので、これ以上突っ込んだコメントを発することはできないのが残念でならない。


 越えなくてはいけない大きな壁の前に立っている少女の凛とした佇まいを出すには、そのためには笑顔を封印しなくてはならない。本気の「覚悟」に笑顔など必要ない。「新垣結衣=笑顔」のイメージが定着した今だからこそ、あえて叩き壊す必要があるのではないのか。同世代そして同郷ということで、彼女は今後は黒木メイサと比較されることが多くなるだろう。沖縄代表陽性、新垣結衣。沖縄代表陰性、黒木メイサ。そんな二元論で語られ続けるのだとしたら、彼女は間違いなく20代以降の仕事がなくなってしまう。迷走と彷徨の果てにはフェイドアウトしか待ち受けない。やることがなくなり、適当な時期にセミヌードになることで蝋燭の消える直前のように一瞬燃え盛って話題を振り撒くという結末が、チラホラと見えてきやしないか(言うまでもなく、知念やMAXの二人に続くラインだ)。CM発ブレイクという久しぶりのルートで成功を手にした次の一手をきちんと考えてあげてほしい。頼むから彼女に優秀なブレーンを。


 ちなみに俺が提案した受験ドキュメントCMは、そもそも彼女がクイズヘキサゴンに出場した際の予選ペーパーテストが18人中17位であったということを鑑みても、進学という選択肢は元から視野にすら入っていなかったということがわかるゆえに(あー、物凄くオブラートに包んでますが)実現性はあまりなかったのである。というわけで、ネット上で注目する者皆無だった4年前からさんざん書いてきた新垣結衣に関するテキストはこれにて終焉だ。新しいブログの第一回目、いわば杮落としに彼女をもってきたということで彼女に対する区切りはついただろう。皆さんに声を大にして言いたい。同じティーンファッション誌出身の女の子では、徳永えりに注目しておいた方がいい。彼女こそ肉体性を持った陽性の才を持ち合わせている。ドラマ「ダンドリ」、映画「フラガール」でその身体能力の高さは証明済み。あとは如何にして臨界を引き起こす作品(CMでもドラマでも)と邂逅するかだけ。2007年、新垣の衣鉢を継ぐのは徳永えりを置いて他にいない。マダム・レインの示影針は、明らかに徳永えりを指している。



「しばしば
 肉体は死の器で
 受け留められる!」(吉岡実「マダム・レインの子供」より)
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