千の旋律、千の悲哀、千の記憶Dear Loneliness Leave Me Alone

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あゝわれ自ら弧寂なる発光体なり! 11:40


 アンダーカバーのアトリエを映した2枚の写真がある。奇しくも アングルも奇妙な一致を見せる。吹き抜けの天井が高く、極めてだだっ広い空間。その中にいる高橋盾(とアンダーカバースタッフ)。一枚の方には天井付近に達するまで貼られた取り取りのポスターや配置されたガジェットやアートの数々が目に付く、極めてアンダーカバーらしい内装の写真。もう一枚は、何もない写真。そう、なんにもない。室内を埋め尽くしていた情報物は限りなくブランド自体のポリシーを現し、寄託され、イメージソースとして機能していたはずであるのに、それら全てが撤去されたがらんどうの空間となっている。前者は昨年に撮られたとおぼしきもので、後者は2月後半のパリコレクション本番を間近に控えた冬のショットだ。「High Fashion」における後藤繁雄の連載「非定型対談」で掲載されたものが前者であり、「EYESCREAM」の特集扉写真となったのが後者である。

(このアトリエに関しては、次号の「numero TOKYO」でも特集される予定となっている)


この違いが全てを物語っている。写真は語る、雄弁に。そして、そこに映る高橋盾のスナップ。久しぶりに彼を見た。随分と印象が変わった高橋がいた。髪は短く切り込まれ、染色なき漆黒。プレーンなシャツを第一ボタンまで留めている。袖口からタトゥーが覗く。静かだ。佇まいから禅的なものが伝わってくる。ハードコアパンクを通過した人たちが、フォークやカントリーへ回帰したのと似た印象をおぼえる。シンプルで、クリーンで、ミニマル(雑誌本文より引用)。そして、僕の記憶が甦る。記憶よ、語れ!

 彼をHMV渋谷で見かけたのは、今から4年以上前のことだったか。カゴの中いっぱいにパンクのCDを放り込み、物色している高橋がいた。そして隣には璃子さんが(高橋夫人。旧姓、森下璃子。個人的に特別な想い入れがあるモデルであるゆえに、璃子さんという 呼称をお許しいただきたい)。普通の人は気付くべくもないのだろうけれど、彼の周辺3mくらいの空気が一気に引き締まるのがわかる。オーラというよりも、触れるもの全てを傷つけるような鬼気迫るものを感じた。苛立ち? 閉塞? ジャック・ザ・リッパーならぬ、ジョニオ・ザ・リッパーだったわけ。その時の面影など微塵も感じさせない静謐さ。明らかなモードチェンジが彼に起こったのだろう。もちろん結婚や愛娘の誕生が契機だったのは当然だが。アンダーカバーといえば、このイメージで全てが事足りていた僕にとって、だからこそ今回の高橋の解脱したような風貌に驚きを禁じ得ない。彼のことを知ってもう12年か。


 「EYESCREAM」誌の創刊3周年記念特集『UNDERCOVER』は、新たなフェーズへとシフトした高橋盾とアンダーカバーチームが、節目となる10回目のパリコレクションを行うまでの5日間を追いかけたドキュメントを中心に構成されている。彼の友人でもあるフォトグアファーの新田桂一が、作業中からバックステージからオフショットに至るまでの全写真を手がけ、特集に色を添える。2度に渡る本人へのインタビュー、演出家・若槻善雄とヘアメイク・加茂克也というアンダーカバーのショーを支える阿形と吽形の如き二人への取材、関係者/スタッフによる証言、友人のアーティストからのメッセージで特集は彩られているが、EYESCREAM誌編集長の稲田浩による渾身のルポルタージュが全てを支配している。


 どんな写真の力をも凌駕し、雄弁に真実を語るテキスト。それが持つ圧倒的な力。稲田浩は元Rockin’On社の人間。ということは、ファッションに関しては完全な門外漢である。彼はおそらく、同行した現場で飛び交っている、例えばスタッフと高橋が交わしている専門用語の殆どを解読できないだろう。その一例を、高橋はブログに記している。「背中心は割で際を両コバ」「開きはいってこいで」「地の目はスコバイ」「上高、表振り二本針」(もちろんズブの素人の僕は「???」だ)。そんな彼が単身乗り込んでいく。自らの雑誌の特別記念号という最大級の誠意を尽くし、ハレの場を用意して、いざ戦場の最前線へ。きっと稲田氏は従軍記者の気持ちを連想したんじゃないかな。あるいは、そう、ゴンゾー・ジャーナリズムなんて単語が頭をよぎったことは間違いないね。だって、僕なら間違いなく「GONZO」の血を輸血して臨むもの。


 ロッキンオン仕込みの感傷的なプロローグから幕が開くこのドキュメントを読みながら興奮を隠せなかったのは、自分が良質なチームというものに対し憧れを未だに持ち続けている人間だからということ以上に、己が15歳の頃になりたいと思ったポジションがチラリと垣間見えたからだろう。(誤謬承知の上で)笑うがいいさ、とばかりにそれを披露すると、カリスマを支えるブレーンになるというものだ。つまりパウル・ヨーゼフ・ゲッベルスになること(この辺が15歳的思考ですね)こそが自分の生きたい道であると天啓が閃き、それから14年もの月日が流れたという話さ。例えば角川春樹に関する記事などに執心するのも、存外そういう(良くも悪くも)カリスマとしての存在を認めているからだろうね。半分は悪ノリ、半分は羨望。


 閑話休題。今現在では、YouTubeという新媒体によって映像ですぐさま確認することができるコレクションのショー。これまでは、FirstviewやVogueにアップされた画像を見るか、ファッション・ニュースやGap Press等の雑誌の発売まで待たなくてはならなかったわけで。自分自身でも生でコレクションを見た稀有な体験は片手で事足りる。ましてや、バックステージや発表までのプロセスなど、受け手にとっては窺い知る余地などなかった。微塵も。それを(稲田浩のフィルターを通過しているとはいえ)想像力を発揮させることができる言葉の力によって提示してくれたこの特集は、はっきりとこの号も含めて今回のショーのピースであることを力強く示している。アンダーカバーとがっぷり四つで組んだことで得た大きなもの。相当タフな仕事であっただろうことは、高橋自身も認めているし容易に想像もつくのだけれど、雑誌にとっては一つのメルクマールを記録し、一段階上のステージへ突入できたのも事実だ。


 このような入魂のテキストがファッション誌に掲載されないこと。それこそが、僕の抱えている不満の一つであり、この傾向が続く限りファッションに批評が持ち込まれることはないのかなと半ば諦めている問題でもある。失礼ながら、その荒野はブログ文化をも直面しており、昨年その批評性が唯一無二であった、とあるファッション系ブログが閉鎖して以降はその不毛さたるや惨憺たる状況であることに同意する人は多々だろう。遠まわしに書いたが、要はつまらない、と。みんな揃いも揃ってティピカルだ。似たような服を着て、似たような音楽を聴いて、似たようなブログ会社使って、内在する視線を隠して、外在する視線の中をうつろな目をして漂うばかり。ファッションに批評性を持ち込むだけでなく、それをテキストへと昇華できる存在が、もっと若年層に出てきてほしいと思うけれど。だが、無理だろう。本を読めと主張し続けるファッション関係の人間が、スタイリストの伊賀大介しかいないんだから。身体の記号性はインプットにありき。これは大学の授業で学んだことであるけれど、そんなに的を外しちゃいないと思うね。僕らに熱弁をふるった教授は、ヨージ・ヤマモトのスーツを着て自らのその言葉を何とかかんとか実践しようとしていたっけ。



 講談社の「HUgE」は、アートへの目配せも含めヴィジュアル以上にテキスト面で孤軍奮闘している稀有な雑誌だ。5月号は「GODSPEED YOU」と題されたアウトサイダー特集。それを彼らは「不良」と名指すが、もちろん高橋ヒロシ的な「CROWS」文化とは一線を画す。はぐれものたちのワルツだ。ページで紹介されるアイコンは、ヴィジュアルではポール・ウェラーにピート・ドハティ、ルー・リードにW・バロウズ、etc。テキストでは、ハンター・S・トンプソン、そしてセバスチャン・ホーズリー。彼らのステップは孤高であり哀愁であるがゆえに美しい。


 なによりテキストサイドの展開が絶妙だったんだ。ハンター・S・トンプソンによる「ゴンゾー・ジャーナリズム」と彼の生きた軌跡を紹介し、それを踏まえた上でロンドン在住のアーティスト/ライター/パフォーマーのセバスチャン・ホーズリーの美学が、彼のうっとりするような言葉の連なりによって紡がれる。そして、最後の落としどころとして、「時しらず」のディレクターである市之瀬氏によるショップ誕生までのインサイドストーリー(これは特集とは関係ないページ)で締め括るという構成。カウントしていないが、これらのトータルワード数は実に5万字以上に渡るのではないだろうか。何という読み応え。3本の長尺テキストが一貫した意志によって貫かれており、それは我流の言葉に換言すればこのようになる。


 「人生なんて自分の好きなように楽しんだらいいじゃないか。ただ、
  それを成し遂げるには、相応の覚悟や犠牲と継続のための努力が
  必要になるがね。右に倣ったり、群れたり、流されたり、お前さん
  がそんなタイプなら土台無理だな」



 「HUgE」誌から、セバスチャン・ホーズリーの言葉を引用しよう。髪を逆立て、ロイヤルオーダーのビスポークスーツに身を包み、ピンクのネクタイに合わせピンクのマニキュアを塗付した男。自宅の部屋に無数の人骨頭部をコレクションする男。人食いザメのいる海に潜る男。キリストへの忠誠を示すべくフィリピンで両掌に釘付けされて磔になった男。暖炉の上に綺麗に収納され陳列された無数の髑髏が笑う。


 「人生は冗談のようなもの。
  怒りをウィットに、
  心の痛みをユーモアに
  転換する事が重要なんだ」


 この言葉は、「広告批評」の”特集 エコ・クリエイターパワー”における、辻信一氏とマエキタミヤコ氏の対談へと繋がる。ユーモアという視線なくしてチャーミング・アプローチは成功しないこと、一人でも多くの人の心を捉えないこと、振り向いてすらもらえないこと、やっている自分たちが楽しくないってことを、彼らの言葉が表現する。チャーミング・アプローチに関してはマエキタさんの著書「エコシフト」(講談社現代新書)に詳しい。


 ユーモアについて考える時、僕たちはどうしても彼のリリックを避けて通るわけにはいかない。安念真吾さんこと、Shing02だ。『400』より、「ウルトラH」のラストラインを。


  “3つのユ! ユニーク、ユーモア、ユニバーサル”


 明らかに下の世代への伝言が意図されたリリックが詰め込まれていた同作。人生で大切にすべきものが「3つの袋」であるならば、さしずめ「3つのユ」というものは、21世紀を生きる人間にとっての通奏低音となるべきキーワードか。これが発表された2002年の時点で、彼は看破していた。他者と同じを志向する人は、ユーモアという聖衣を身に纏うことは出来ない。誰も見ていないところを、見ることができる人は、ユニーク(唯一)への階段をあがる。SNSもYouTubeもMyspaceも身近になった現在、ユニバーサルなんて言わずもがなだ。


 「3つのユ」を生き様として実践している二人、”マエキタ×辻対談”において、彼らは日本の子供たちに憐憫の情を投げかける。「世界で一番かわいそうな子供たちは、日本の子供たちじゃないか」と。辻氏は日本の受験システムからはじまる問題を指摘していたが、この瞠目せざるを得ない意見は残念ながら誌上では端折られてしまっていたのだけれど、星野智幸氏の日記経由で知った毎日新聞の記事と結びつく。


  「あなたは今、孤独ですか」と題された特集コラム。鷲田清一氏が「孤独」というテーマについて語っている。そこで記された調査データが興味深い。国連児童基金が行ったアンケートによると、「孤独を感じる」と答えた15歳の割合は、日本が29.8%とダントツのトップなのだそうだ(2位はアイスランド(10.3%)で、以下、フランス(6.4)、イギリス(5.4)とつづく)。


  鷲田氏は、日本の子供たちは孤独の意味を履き違えていると看過する。


 「孤独は英語でソリチュード(solitude)。つまりソロでいること。
  ところが日本では『ソロでいる=ソリチュード』を『独りぼっち=
  アローン(alone)』と同様、ネガティブに受け止める人が多いんですよ」


 そして、その端緒を日本の近代化が孕んだ問題と理由付ける。現在の、その最たる弊害が受験にあると鷲田氏は問題視しているが、それは辻氏の主張と近い場所にあるのだ。この問題は根深く、こんな日記の末文として触れるのも憚られる。自分とは何か、他者との、世界との関わりをどうすればいいか、誰もがそれについて考えていると思うけれど、残念なことに答えなんて出ないんだよね。僕も物心ついてから四半世紀くらい色々と悩んだりしているけれど、今回はじめてソリチュードとアローン(無理矢理言葉を当てはめるなら、「弧寂」が相応しいかな)の概念差に思い当たり、少しばかり気分が軽くなったもんだよ。じゃあ、ソリチュードの孤独とアイソレーションの孤立はどう違うのかという新たな疑問がわいてくるんだけれど、これは自分の世界が終わりを迎えるまでの宿題として取り組んでいかなくちゃならない。でも、アイソレーションに取り憑かれた人で長く生きている人は少ないので、深入りしちゃいけないんだ。


 鷲田氏による、精神科医中井久夫氏の引用。


  <成熟とは、『自分がおおぜいのなかの一人(ワン・オブ・ゼム)
   であり、同時にかけがえのない唯一の自己(ユニーク・アイ)
   である』という矛盾の上に安心して乗っかっておれることである>


 そしてそれを受けて鷲田氏は締め括る。


 「ユニーク・アイとワン・オブ・ゼムと。人間は片方だけでは生きられない。
  迎合せず、依存せず、ソロでいられる自分を目指して心に『根拠地』
  を作っていく。同時に、社会で果たすべき役割を果たすこと。
  両輪でやらないとね」


 孤独と弧寂、そして孤立と。全部ひっくるめて生きていくんだね。それらを抱え込んで生き抜いた、真のアウトサイダーについて総力特集された雑誌が出ている。美術手帖5月号「ヘンリー・ダーガー」がそうだ。伝説と化した彼の真実が、浮かび上がってくるテキストの数々に痺れる。



 DJ KLOCKさんの冥福を心よりお祈りいたします。

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