千の旋律、千の悲哀、千の記憶Dear Loneliness Leave Me Alone

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僕らの孤独はタンバリンを鳴らす 16:37


 前回の日記から2週間あまりが経過したものの、再び「孤独」について。ラスト部分で展開していた思索が残滓のように頭の中にこびり付いたままインプットを続けていると、あの記事に共有概念として結えるものと巡りあう。その前におさらい。大阪大学副学長の鷲田清一氏は、日本の若者が抱える「孤独」をこう分析する。


 「孤独って感じるもの。一人の時に『私は私』と思うか、仲間外れ
  にされたと思うか。日本の子は孤独というより、人から見捨て
  られることに弱くて敏感。孤独は英語でソリチュード(slotude)。
  つまりソロでいること。でもバイオリンのソリストを見て孤独と思う?
  ところが日本では『ソロでいる=ソリチュード』を『独りぼっち=
  アローン(alone)』と同様、ネガティブに受け止める人が多いんですよ」



 15歳の彼らが感じたつもりになっている「孤独」感とは本物の「孤独」から去来するものではない。いわんや僕たちをや。弧愁に弧寂はともかくとして、上記で言及されているような真の「孤独」へと到達できる人物の境地に関心を抱いてしまう。
 『Number』誌の特集「野球魂」にそれはあった。表紙巻頭で組まれた日本ハムファイターズ、ダルビッシュ有のインタビュー。若干20歳の彼がこぼす言葉の端々に、「孤独」はあった。孤独を志向し、その結果として選ばれた者たちが見据えた地平の高さを垣間見ることができたんだ。


 「人が自分をどう見ようが別に気にならない。人が下す評価なんて
  コントロールできない。自分のことは自分が一番よくわかっている。
  自分とずっといっしょにいて一番仲がいいのはやっぱり自分なんです」



 文中では一人でいることを恐れない強さがダルビッシュにはある、と書かれている。彼と同じ歳であるならば、”自分はどう見られているか。人がどれだけ認めてくれるか”が喫緊の命題となり、それにがんじがらめになるあまり自分らしさが失われてしまいがちだと、同じくライター氏は記す。これに関して雑誌は違えど、『プロ野球ai』というアイドル誌で彼は語っていた。今年のオフ、地元である羽曳野市の成人式に出席した際の印象について、「周りが幼すぎる。自分は違う世界に生きているんだと思った」というような内容を(少しうろ覚え)。



 「ほかのチームに行って一から人間関係を築くというのが一番めんどうくさい」から、FAを取得しても行使するつもりはないと語る男。メジャーなんて興味ないと語る男(この言葉は昨年あちこちの雑誌等で見かけた)。自分の信じる自分がいかに高い場所を見ることができるかのみを考えた唯我独尊ぷり。コミュニケーションはそつなくこなすが、酒も飲まず(飲めないと本人は『〜ai』で証言)ただ野球のことだけを考え、最高のパフォーマンスを発揮してチームの勝利に貢献できるかを、自らの肉体に問いかける。その結果としての5戦連続完投という離れ業である。「できれば(いつも)最後までマウンドにいたい」。昨年プレーオフよりエースに選ばれた男のプライドじゃないか。阪神の先発に見習わせたい・・・。


 「剛球王子」と称されるダルビッシュを認める男が、「火の玉ストレート」藤川球児だ。今年に入っては殆どストレートしか投げていないという、今日びの野球マンガでも有り得ない展開となっているその投球内容は、ひとえに後年振り返った時にプロ野球の歴史に燦然と輝く彼のストレートの素晴らしさによる。僕は小学生の頃、藤井寺球場で野茂の奪三振ショーに酔いしれ「Kボード」を天高く掲げていたクチだけど、野茂には伝家の
宝刀のフォークがあった。プロのバッターが口を揃えて「くるとわかっていても打てない」と答える藤川のストレート。どれだけYouTubeでそのシーンを再生しただろう。流れ星のように球道の軌跡が見える彼のストレートの美しさに、僕たちは昂揚とため息が交差し、奇跡のような瞬間に滂沱する。そんな藤川は、「1イニングだけと限定するならば、自分より上のストレートを投げるのはダルビッシュでしょうね」と語っていたのを知る(正確なソースは忘れてしまいました)。


 『Number』における藤川球児インタビューでは、彼がストレートを武器に到達し得た真の「孤独」が浮き彫りとなっていた。自分も含めた「松坂世代」についての感想を求められ、「(阪神にも多い)同級生の活躍は励みになるけれど、ただそれだけでしかない」のだと答える藤川。同じ世代の選手同士の交流に関しても、「仲間であっても友達では
ないですから。ましてや親友なんかではないですね。グラウンドではみんなライバルやし、プロとして仕事で野球やってるわけやし。別に仲良くする必要はない」とも。メールアドレスの交換も誰ともしたことがないのだという。馴れ合いや同調を唾棄する徹底した意識。孤立を経て弧絶へと陥りかねない寸での場所で死守し続ける孤独。そこからは自分の天職を有した者による覚悟が見えてくる。


 天職があれば友達との付き合いなんてまっぴらごめん。そう語るのは、『BRUTUS』の「美女特集」における成海璃子である。これが齢14歳の言葉かと思えるくらいの意志の強度がそこにある。


 「日頃から、自分が女優であることを忘れたことはないんです」
 「お休みの日まで、友達と遊んだり、のんびり寝て過ごすなんてもったい
  ないと思ってしまって。友達には学校でも会えるんだし、とにかく私は、
  いい景色やいい作品を見て、自分の心を豊かにすることだけをしたい
  と思うから」
 「私、一生女優でいたいんです」


 彼女の強靭な言葉に触れていると、『more』で目にした美容アドバイザーの佐伯チズ先生のこの言葉が浮かんでくる。


 「いい女はつるまないのよ」


 「孤独」を選び、そして「孤独」に選ばれ、ソリストとなった彼らだが、僕はそれを陰で支える人がいてこその境地なのだと思う。例えばコール・ド・バレエがあってこそソリストが輝くように。だからこそ、「孤独」は「Alone」とは意味合いが真逆のベクトルなのだ。彼らもそれを充分自覚し、支えてくれる人たちのために孤独でい続けたいと願うのだろう。もちろん、何かを犠牲にしているなんて感覚は微塵もないはず。


 ブログ界きっての日ハムファンである「かなしいうわさ」さん経由で知った、北海道新聞社のファイターズ応援コラム「がんばれファイターズ」に寄稿している、えのきどいちろうさんの文章は愛に溢れていて本当に素晴らしい。そこで読んだのだが、日本ハムの寮長をつとめた菅野光夫氏の逝去に関するテキスト



 ダルビッシュの孤独を支え、独り立ちさせた偉大なる功労者の一人なのだろう。菅野氏は、ルーキーイヤーの喫煙事件で謹慎中だったダルビッシュのキャッチボールの相手を務め、それだけでなく一から礼儀作法の全てを叩き込んだのだという。そして彼の一軍昇格が決まった際には、「二度とお前の顔なんか見たくない」と言って送りだした菅野氏。ピッチングに関しては佐藤投手コーチの指導と支えのたまものだとしても、メンタル面において彼を導いたのは間違いなく管野氏であったのだと思う。恩人の早すぎる死という経験が、彼の中で何かを変えていく契機となるのかもしれない。孤独を獲得したものによる、その成果の配分。つまりは今シーズンの結果でそれを判断してみたい。


 自分を無条件で認めてくれる人、なんて存在は親くらいのものかと思っていたけれど、今ではその親からして守ってくれる存在にはならないのが、孤独が履き違えられてきた分水嶺なのかもしれない。幸いなことに、我が家の両親はバカがつくくらいの包容をわが子たちに見せているのだから、運が良いのだろうけれど。


「お前がたとえどんな状況に陥ったとしても、わしらは最後まで
 お前を信じている。最後に笑えたらええやん」


 という全面的な無条件肯定の言葉は、親となった経験がない俺でもなかなか口にすることができないフレーズであるということくらいは理解できる。こんな言葉を直接言われる体験があまりに稀少であることも。さすが学生運動の闘士と言うべきか、こんな親だからこんな子供になってしまったと言うべきか。だから僕は親や弟たちを今までもこれからも無条件に肯定するし、愛する人ができたらその人だって肯定したいし、いつか自分に子供が生まれる時がきたとしたら、その子を同じように肯定してあげたいのだ。自分で孤独を選べるように。そんな日がこないという大オチも待ち構えているだけに、この決意も空振りに終わる可能性大だ。ストレートの話をしただけにスイングアウトですか。号泣!!
| magazine_knotting | comments(0) | - | posted by 一本道ノボル
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