千の旋律、千の悲哀、千の記憶Dear Loneliness Leave Me Alone

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年度末最終日にすべりこませた2007年を彩った書物の数々 (2) 12:33
以下、具体的な順位を決めるのは野暮というものだし、かといって単にリストを並べるだけじゃあまりに芸がない。なもので、ここはブックセレクターでお馴染みBACHの幅允孝氏の仕事に敬意を表して、彼さながらのカテゴライズでご紹介させていただこうと。結構楽しいですよ、この作業は。原則として一人の著者につきピックアップは一作としております。それぞれにつぶさに言葉を寄せる気力がないので簡潔なコメントにて失礼つかまつります。コメントがない作品は後で気が向いたら加えておきます。

<音楽を言葉へ、人生を音楽へ>

■重松清 「白髭のニール」(新潮社/小説新潮9月号) 

感傷の魔術師(センチメンタル・ウィザード)によるエンターテイメントの極み。私の感想は以下のページで。http://llorando.jugem.jp/?eid=18#sequel  全てのニール・ヤングの子供たちへ捧ぐ。まことのオルタナティブ、まことのロックンロール、その精神性の物語化。

■森達也 「僕の歌・みんなの歌」(講談社)

音楽を語るにおいては、自らの人生に起こった物語を語らなくてはその本質が伝えられないことがある。たった数百字のレビューでは決して成し得ることができない地平がある。全25曲、森達也という人間の半生のグレイテスト・ヒッツ。「ライク・ア・ハリケーン」(ニール・ヤング)や「青空」(ブルーハーツ)の章で滂沱。

■直枝政広 「宇宙の柳、たましいの下着」(Boid)

聴取体験とその虜となったレコードによって編纂された人生の履歴書。カーネーション直枝政広氏に流れた半世紀近くの時間を追体験する一大タイム・トリップ。エリオット・スミス(とPHISH)に捧げられた序章「風の中のマリー、生き急いだエリオット」は、音楽に対して何らかの希望を抱いている人はたのむから皆読んでほしい。その章の締め括りの言葉だけで泣けてくる。



<講義の中から立ち上るもの>

■松岡正剛 「世界と日本のまちがい」 (春秋社)

前作「17歳のための日本と世界の見方」の続編。博覧強記を通り越し、人間アカシックレコードになりつつある著者が、世界に蔓延する矛盾に改めて対峙し、それを一つ一つ起源から紐解いていく作品。ただし、「ネーション・ステート」をコアに近現代史にフォーカスしており、お嬢様系女子大の1年生に向けた講義録であった「17歳〜」のようなキャッチーな判り易さは皆無。ハードコア極まりない知のギャングスターラップであるゆえに、それ相応の覚悟が必要。

■宮沢章夫 「東京大学ノイズ文化論」(白夜書房)

現代日本社会において、私たちが生きる日常の中では排除されてしまいがちな「ノイズ」という文脈を、丁寧に解読していく作業の中間報告書。極端なまでの二元論の横行、白と黒にはっきり分かれ、その中間にあるはずのグレーゾーンのワームホール的欠落がもたらす集団ロボトミーの犠牲者にならないための警鐘。バイアスは悪であるが、ノイズは決してそうではないのだ。

■中井久夫 「こんなとき私はどうしてきたか」(医学書院)

精神科医であり風景構成法の生みの親である著者が、現役の医師や看護士やケースワーカたちにむけた講演をまとめたものが本作。やさしい言葉や比喩で、主に患者との接し方や局面打開の経験が語られる専門書であるけれども、医学に通じていない人にこそ読んで欲しい書物の最右翼(もちろん精神科に属する人間にとってはバイブル的書物であるので、読んでない人はただのモグリ)。悲しいかな大きな書店や図書館でも置いてない場合が殆どだけど。とりわけ、神戸という中井久夫のホームタウンの大型書店でこの本を扱っていないのは、愚行を通り越して重罪だ(中井は神戸大と甲南大の名誉教授でもある)。神戸の各書店員は給料泥棒の謗りは免れない、と口を挟んでおく。



<偏愛と偏倚>

■若島正 「ロリータ ロリータ ロリータ」(工作社)

ウラジミール・ナボコフの「ロリータ」の新訳を手がけた著者が、満を持して贈るその「ロリータ」の解読本。いかにナボコフという文学者が言葉を自在に操り、トリックを縦横無尽に仕掛けていたのか、その魔術的手技と深遠の淵を垣間見ることができる。ウラジミール卿に心酔する者「のみ」推奨。「ロリータ」を最低三回は読み、キューブリック版とエイドリアン・ライン版の映画を観て初めて読みすすめていける、究極の"一見さんお断り本"。おそらくそれ以外の人が読んだところで、全く意味がわからないと思われる。入門書ならぬ最終到達書。

■滝本誠 「コーヒー・ブレイク、デイヴィッド・リンチをいかが」(洋泉社 )

滝本氏が偏愛するリンチにまつわるテキストを集めたもの。ただし、内容的にはまさに「ブレイク」という感じの小品で、傑作であった「きれいな猟奇」のようなノワールとアートと映画、ポルノと暴力と偏執とフェティシズムが混然一体となった奇跡は鳴りを潜めてしまっていると言わざるを得ない。

■高原英理 「ゴシックスピリット」(朝日新聞社)

「ゴシックなるもの」に関して丁寧に紐解かれた前作「ゴシック・ハート」の双子の書。決して二番煎じに収まっていないのは、「ゴシック」という哲学の懐の深さゆえか。ただひたすらに死の情緒を追い求め、メランコリーの感情に耽溺する。著者にかかれば世界のあらゆる場所や表現からゴシックが出現する。


■柳下毅一郎 「シネマ・ハント」(Esquire)

「ハリウッドがつまらなくなった101の理由」というサブタイトルからもわかるように、マイナスの理由から出発することで構成された映画批評本。



<編集術>

■菅付雅信 「東京の編集」(ピエ・ブックス)

「Composite」や創刊時の「Invitation」の編集長を手がけた菅付氏が、幻冬舎社長の見城徹氏や元Olive編集長淀川美代子さん、ハイファッション田口さんから川勝正幸氏など15人の名物編集長(編集者)相手に挑んだインタビュー集。個人的には「東京以外の編集」の企画をお願いしたいが、まだちょっと取材対象の人材不足か? 「Res:」の藤本氏や元ミーツの江弘毅さん・・・くらいしか思い浮かばないか。

■見城徹 「編集という病」(太田出版)

その幻冬舎のドンをフィーチャーした「情熱大陸」の副読本でもあり、上記の書籍にて「編集とは恍惚」と名言を吐いた氏の編集人生の集大成を纏めたもの。世代的に私たちにとっては今一つピンとこなかった尾崎豊という人物の、音楽家としてではなく文を紡ぐ才の持ち主としての生き様を感じとることができる(が、個人的にはその部分に必要性があったとは思わない)。



<私という物語>

■高山宏 「超人高山宏の作り方」(NTT出版)

学魔降臨。<学魔>タカヤマの疾風怒濤の人生。愛も哀しみも怒りも喜びも全てを飲み込み、魔一匹、<知>の冥府魔道を行く。(帯コメントより) Google時代のいま、この学魔のような人間の後継者は一生現れることはないのだろうなと思うと、現代を生きる僕たちがいかに矮小な存在なのか猛省を禁じえない。知の世界において、指先とはクリックするものではない、頁を捲るためにこそあるのだ。

■茨木のり子 「歳月」(花神社)

全ての愛の終着駅。一昨年没した詩人が残した、亡き夫に捧げたラブレターの書籍化。彼女はこれが世に出ることを、自らの生が続く限りは許さなかった。だが、一人の男としてここに書かれた言葉を読んで、その愛の深さに嫉妬をおぼえない男はいまい。ただし、彼女の著作を読もうとする人は、これを最後の最後に読んでほしい。ここから自身の言葉に入ってもらうのは、故人としても本意ではないだろう。

■佐伯一麦 「ノルゲ」(講談社)

草木染織家である著書の妻がノルウェーの美術大学に一年間留学するということで同行し、かの地オスロでの何気ない日々や現地の人との交流を細やかに書き留めた私小説。星野智幸「無間道」に勝るとも劣らないくらいのインパクトがあった、個人的2007年文学の収穫。ストーリーとなるものは殆ど無く、何も起こらない。だからこそ、若い頃には絶対に読み進めることさえできなかっただろう。野間文芸賞受賞も文句なしの傑作。『「オレンジ」の頃のフィッシュマンズを小説化したような〜』と書けば興味を持たれてしまいそうなので止めておこう。「群像」連載時から気にはなっていたが、ノルウェー人アーティストをリリースすることがきっかけとなって手に取った。そんな僥倖によって出会えたことを感謝したい。

■水道橋博士 「筋肉バカの壁」(アスペクト)

浅草キッドの水道橋博士による身体を張ったドキュメンタリーシリーズ第二弾。参考URL http://llorando.exblog.jp/8276823/

■四方田犬彦 「先生とわたし」(新潮社)

「新潮」掲載時に読み、驚嘆。非常に遅まきながらこの本によって、「由良君美」という偉大な英文学者の名前を知ることができた。そして、改めて現在の世に足りていないものは弟子と師の関係性なのだと思った次第。海馬博物館のごとき様相を呈する著者の詳らかな回顧シリーズは、常にほろ苦さが読後感として残る。師を持てなかった人はこの作品を読んでも何も思わないかもしれないが、僕のようにその人のゼミに入りたいという理由で進学先を決めた人間にとっては、複雑な気持ちになるばかり。

■カート・ヴォネガット 「国のない男」(日本放送出版協会)

巨星堕つの報より早一年が経過した。この本と「SFマガジン」のヴォネガット追悼特集は、本当に素晴らしいものになった。彼の著作の数々同様にいつまでも店頭から消えないでいてほしい。人生では何時如何なる時でもユーモアを欠かしてはいけないと、様々な人が教えてくれた。死も不幸も悲嘆も、笑い飛ばせないものは罪でしかない。そしてユーモアは言葉によってしか生まれ得ない。だから僕は言葉を奪われたくはない。僕にとってのカートとは奇しくも同じ4月に生の終焉を迎えた音楽家ではなく、ヴォネガットただ一人である。



<新世代の小説>

■米沢穂信 「インシテミル」(文藝春秋社)

彼と道尾秀介がいれば、日本の本格ミステリ界はしばらくは安泰なのではないだろうか。今作は文春からであるにも関わらず、直木賞にノミネートすらされなかったのは可哀そうでもある。受賞は無理であっても、ノミネートくらいはしてあげても良かったのでは。現在、第8回本格ミステリー大賞にノミネート中。昨年受賞の道尾秀介に続いて欲しいと願ってやまない。なにせこの小説が通用するのはせいぜいが今年いっぱいであろうから(ネタバレになるので以下は割愛)。

■リチャード・パワーズ 「囚人のジレンマ」(みすず書房)

完全なる装丁買い。元サイレント・ポエツの下田法晴氏による装丁が本当に素晴らしい。ショッキングピンクにネズミ男。これだけでお金を払う価値は相当にある。

■伊藤 計劃 「虐殺器官」(原書房)

■円城塔 「Self-Reference ENGINE」(原書房)

両作ともに、SFというジャンルに少し距離間のあった私をそこに近づけてくれた。伊藤氏の作品はともかくとして、円城氏の本は苦労して読み進めていったことを憶えている。最新作の「Boy's Surface」しかり。



<下の世代に届けるために>

■藤原和博 「新しい道徳」(筑摩書房)

「夜スペ」等で話題の現・杉並区立和田中学校長による提言の書。そして村上龍「13歳のためのハローワーク」への教育従事者からの正当なる回答。

■森村泰昌 「美しいってなんだろう」(理論社)

誰もが感じる「美しい」という茫漠とした概念を、身近な一例からはじめ誰もがわかるように解説してくれている。カワイイ、キモイを軸としてそれに言葉をくっつけるだけで何かを形容した気になっているだけの大人が氾濫している中で、若い人たちにしっかりと美しいものを見て美しいと判断できる教育をしてくれているのは特筆に値する。本文もさることながら、中高生からの「美」に対する悩み相談に懇切丁寧に答える森村さんの気概に感動。自身の芸術活動をしっかりと世阿弥の美学から子供たちに提案しているのは本当に真摯な人である。

■バクシーシ山下 「ひとはみんな裸になる」(理論社)

最高の性教育書。しかし、現代の中学生は男女ともに「性に興味がある」と答えた年齢は僕たちの時代の半分近くにまで下がっているという事実は、そら恐ろしくもある。初体験の年齢が下がれば下がるほど、そこで失敗して臆病になる人も多いということなのだろうか。そんな時に手を差し伸べてくれる書があってよかった。この「よりみちパンセ!」シリーズを企画する編集者の能力は相当に高い。依頼する相手を一ミリたりともブラせないだけでなく、現代の子供たちに何が欠けているかを事細かに察知している。それこそが、真の「マーケティング」なのではないだろうか。



<改めて人生について考えてみるときに>

■保坂和志 「「三十歳までなんか生きるな」と思っていた」(草思社)

このようなタイトルを付けられて購入しない29歳がいたら教えてほしい。かといって彷徨える人間に対して優しく道を開いてくれるような指南書の類ではない。主に書いてあることは「安易な結論に逃げ込んだりすることなく、ひたすら考え続けるんだ」ということ。この本に対する書評を書いた川上弘美はこう締めくくっている。「この本を読んで、長く考え続けたいと、わたしは思った。それから、長く生きつづけたいとも。それって、ほんとうに、すごいことだ。」わたしもなるべくなら生き続けたい。人知の及ばない範囲のどうしようもないことや、森羅万象の些細なことや、大好きな人のことや、言葉には表わせないすけべなことなど、考えて考えて生きていきたいと思った。

■山折哲雄 「早朝坐禅―凛とした生活のすすめ 」(祥伝社)

坐禅のハウトゥ本というわけではなく、日本古来の「ひとり」という文化を如何に育んでいくかの指南書。西洋からおしつけられたIndivisualの翻訳である「個」にがんじがらめになるのではなく、1000年の歴史がある大和言葉としての「ひとり」に目覚めよ、という提唱だ。坐禅はそのための一つのメソッドに過ぎない。属する群れから離れる習慣をつけろ、そして「ひとり」でいる時間に考え続けよ。その沈黙の時間こそが宝物になるのだ。

■新潮社編 「人生の鍛錬 小林秀雄の言葉」(新潮社)

独創的に書こう、個性的に考えよう、などといくら努力しても、独創的な文学や個性的な思想が出来上がるものではない。あらゆる場合に自己に忠実だった人が、結果として独創的な仕事をしたまでである。(同書 P73) 小林秀雄という人物は「高校時代にやたらと現代文の教科書ないしは模試でみかけた名前の、小難しくわかりにくい文章を書き連ねる人」というイメージでしかなかったけれど、白州次郎に傾倒していく過程において、あらためて彼の存在を意識し始めた(小林は白洲の義兄)。対談集を読んだり、橋本治が記した「小林秀雄の恵み」を熟読したり。



<汚染された社会>

■春日武彦・平山夢明 『「狂い」の構造』(扶桑社)

平山夢明の狂言回しとしての才能が迸っている異色対談集。こんなものが新書として刊行されていいのかという奇書。精神科医春日先生も、殆ど聞き役に徹していた内田樹先生との対談本「健全な肉体に狂気は宿る」とは違って大いにはじけていらっしゃる。専門用語は皆無、ただひたすら自由きままに狂った人間と人を狂わせる社会構造について言葉を重ねていく。「面倒くさい」、それが人を狂気へといざなう。

■内田樹 「下流志向」(講談社)



<かつての、そして現在の東京>

■川本三郎 「ミステリと東京」(平凡社)

だいたいにおいて都市論というか東京を軸として論じられたものが何より大好きな僕であるが、一部で評判になった原武史の「滝山コミューン一九七四」よりも、補助線を引かれたベクトルの方向性が自分好みであったという点から、断然こちらの書物を愛読した。


■東浩紀・北田暁大 「東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム」(日本放送出版協会)


■後藤繁雄 「ノマディズム」(アートビートパブリッシャーズ)

ハイ・ファッションの連載やエクスクァイア誌に寄稿したテキストをまとめたもの。書き下ろしではないコンパイルであるにも関わらず、時代を漂流する感覚が強く浮き出ている。ゆえにこのタイトルは非常に正鵠を射ているのだ。



<読書という選択>

■岡崎武志 「読書の腕前」(光文社)

読書の虫が本を読むことの楽しみを綴った書籍は数多くあれど、こんなにも共感してしまうのは、自分の読書方法との共通事項が多々あるからだろう。著者が薦める青春18きっぷを利用した「鈍行列車に揺られ……日帰り読書旅」は、まさに同様のことを何年も行っている身であるがゆえに笑みがこぼれる。そして著者は読書によって如何に自分が何も知らないかを気付くことができると説く。その姿勢を何十年も続けていける努力は、また読書によってしか得られないものだ。


■荒川洋冶 「黙読の山」(みすず書房)

みすずからの荒川随筆は順調に冊数を重ね、今作で四冊目を数える。書いてある内容はどんどんマイナー度を増し敷居が高くなっていくのだけれど、彼の文体は「1/fゆらぎ」を文字化したようなものである故に、たいそう心地良い。もう10年近くこの人のような文章を書きたいと強く願いつつも、一向に到達できない、名人のような技。何の技巧も凝らしていないように見える、いっけん普通の文章こそが最も美しく、そして挑み甲斐があるものだ。


■長田弘 「本を愛しなさい」(みすず書房)

過去に「読書からはじまる」という書物を出したことがある詩人による、再びの本についての一冊。なによりタイトルにもなった詩の一篇が素晴らしい。

本を愛しなさい、と
人生のある日、ことばが言った。
そうすれば百年の知己になる。
見知らぬ人たちとも。
風を運ぶ人とも。
死者たちとも。
谺とも。


本を愛してください。本を読む時間を愛してください。本を読んだ自分を愛してください。本を読んで生まれいずる想像力を愛してください。


<その他>

■福田和也 「俺はあやまらない」(扶桑社)

■堀江敏幸 「アイロンと朝の詩人 回送電車掘廖粉簀判馘后
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