千の旋律、千の悲哀、千の記憶Dear Loneliness Leave Me Alone

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僕の家の中からはたぶん「みしまのくび」が出てくる。 18:18
この時期だからこそ少し自分のことについて書いてみましょう。一本道ノボルという男を昔から知る方もそうでない方も、私の書くものが世間一般からは少しズレていることくらいはわかっていただけるかと思います。さながら「ボーイズ・ビー(BOYS BE…)とボーイズ・ラブ(BOYS LOVE)の交配によって産み落とされしヒルコなのだ」ということ。男性にしか生じえない妄想と女性の専売特許的妄想が組み合わさることが、幸福な邂逅といえるでしょうか。その結果として、まともな形のものが出来上がるわけもありません。ヒルコであるということは欠損や欠落を余儀なくされた定めのもの。いびつであり、ドロドロとしていて、醜悪さしかそこにない。僕の場合はそれが性的な嗜好性へと明確に反映されているのでしょうが、その辺の未だ書かれざるエピソードは、やはりいつか書かれることでしょう。


しかし、アメリカの人類学者ジュールズ・ヘンリーは「家族の中には誰か一人くらいヴァルネラブルな存在がいるものだ」と指摘しました。自らヴァルネラブルな存在であると自覚する僕は、あながち間違ってはいないと思うわけですが、ということはそれを自覚したり公にしたりしない人が多いということに他なりません。ましてや、積極的にその存在である自分を引き受けることは、未来ある自分の人生がまともなものにならない事実を無理やり首肯させられることに等しいわけですから、認めたくもないのでしょう。誰だって一般的な物差しで、それなりに普通のレールの上を歩みたいと思うものです。地位や名誉、それに伴う金銭的成功、家庭という最少共同体の樹立などなど。僕は生まれてこのかた普通のレールの上を歩く自分がいるとは思ったことがないのですが、皆さんはどうでしょうか。勝ち組とか負け組という頭の悪い二元論的価値観などさらにもってのほかです。自我が生じる前に催眠のように祖母から「勝負を選ぶな、土俵に立つな、負けろ。逃げろ」と言われて育ってきたこともあり、第二次性徴期にそれなりに両親から定型レールを用意されても内心で拒絶ばかりをしていました。


だって、その直前にノストラダムスの大予言を知ってしまったのですから!! 僕らが暮らすこの地球が、僕が21歳のときに滅びるのであれば、良い就職とか結婚とかに何の意味があるのだろう。隕石が堕ちてきて津波が発生したら、苦しいのかな。ハレー彗星が接近して空気がなくなって死ぬのかな(ドラえもんでそんな話がありましたね)。「せんそう」かな。やはり祖母の意見は正しいのだと思い込んだのです。小学四年生だったはずです。両親が共働きで祖母に面倒を見てもらっていた僕は、その時期に最も接した時間が長かったことで、強烈な洗脳を受けていたのですね。その頃、sinがどこにいたのかだけが記憶にありません。年齢から逆算すれば保育所に預けられていたのでしょう。
ある日、祖母と二人で「四時ですよーだ」を見ていると、彼女はこっそりと「良いものを見せてあげる」と僕に言いました。


「我が家にはな、三島の首があるねんで」


そう言ったのですが、「三島の首」と言われたところで何を指すのか理解できるわけもありませんでした。「それ」は当時では物置としての役割しか果たしていなかったはずだけれど、かつて父の弟が過ごした部屋にありました。旧母屋の二階であり、そこはこの家屋で最も古い場所だったのです。独特の饐えた臭いが立ち込めていました。窓を開けるとスズメバチの巣が至近距離に迫っています。


祖母はその二階の物置から、一枚の新聞を取り出してきました。ボロボロとまではいかないまでも、赤茶けた染みがところどころに見受けられます。当時はわからなかったのですが、今なら日付も書けます。1970年11月25日の夕刊。そして、あの頃は何処の新聞かもわかりませんでしたが、今なら判明しています。朝日新聞です。


「これはな、あんたのお父さんが大学の時にアルバイトしとった新聞だけが載せたんやで。お父さんはほんまに興奮しとったわ。だからこうして大事にしもとくことにしたんや」


見出しまでは憶えていません。写真に目を奪われていたのですから。そこには確かに首がありました。胴体はありません。首だけが床に置かれていました。


「これが、三島の首や。自分で自分のお腹を切ったんや。切腹したんや」


事件が起きた当日の夕刊の早版だけ、しかも首都圏の一部にしか配布されなかった新聞を、父は特別に拝借してきて大事にしまっていたのです。三島由紀夫と楯の会メンバーだった森田必勝の首が映っていました。その横には首を切り落とされた三島の胴体が横たわり、部屋の中は血だらけの凄惨さでした。胴体はこちらを向き、首の断面は真赤になっています(白黒だから真っ黒)。


僕の記憶はここで途切れています。まあ当然でしょうね、死体写真を見るのも初めてであれば、それが切腹と介錯によるものなのですから。人間なんて死んでしまえばこんなもの。ただの肉の塊になる。それを身をもって学んだわけです。その後の人生で僕は三島の作品を読むことは勿論ありましたが、正直言って彼の身体をはったこの写真に勝る感動をおぼえることはありませんでした。哀しいことに、僕は小学四年生にして三島由紀夫の真髄を一瞬にして理解してしまっていたのです。


ハイデッガーは言います。


「人は死から目を背けているうちは、自己の存在に気を遣えない。死というものを自覚できるかどうかが、自分の可能性を見つめて生きる生き方につながる」


以前書いた日航ジャンボ機墜落事故の件といい、このときの凄惨な死体の状況といい、おそらく僕は早いうちから死にとり憑かれているのでしょう。おかげさまで自分の可能性を見つめて生きることにしか興味がなくなってしまいましたが、別の人生を歩んでいたかもしれないパラレルワールドの自分すら想像もつかないので、結局のところこうなるしかなかったのでしょう。


親族一同のなかでは、大崎三兄弟だけが「普通のレール」から思いきり外れてしまっているのは、トップを切って階段をあがっていった、船頭の役割を果たした長兄一本道ノボルがこのように奇妙な哲学のもと生きてきたばっかりの悲劇でしかないでしょう。自分から進んで負けるということを美学としてきた人物は、僕の人生でも「エスパー魔美」における高畑さんしか知りませんからね。しかも彼の場合は何もしないでも勉強ができてしまう(教科書を一度読んだだけで全て記憶してしまうという)己の能力のあまりの高さに嫌気がさして、頑張って努力している人たちに失礼だからと、テストでわざと数問間違えるという超絶無礼な上から目線でしかないのに、僕は頭も悪けりゃ運動もできないのに自分から進んで負けるという。はっきりって頭の悪さもここまでくればあっぱれでしょう。





しっかし改めて考えてみると、もしかしてこの当時の朝日新聞って物凄くプレミアついてたりするのかな・・・・。オークションに出せば、それはもうとんでもない価格になったりするのだろうか・・・・。今から38年前の新聞、しかも首都圏の一部でのみ配布ということは、数百部程度? それが現存している可能性は・・・・? 鑑定価格はいくらなんだろう。何万っていうレベルを超えるとか。




おい! 三島の首は何処へいった!!? しまった、家が新築になってる!!
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