千の旋律、千の悲哀、千の記憶Dear Loneliness Leave Me Alone

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悲しみを決して失いたくない人たちに永遠に愛される唄 16:24


9.11の翌日に発売になるとは何かの縁であるのか。Lirico最新リリースであるScott Matthewの『Scott Matthew』発売まで10日となりました。今回ほど難産だったライナーはないというくらいに苦しんだのですが、上梓して原稿を送付したところ、sinから「かなり苦しんで書いたのがわかるね」とメッセージが。

今回も自分のスタイルは変えることなく、一読して内容と無関係なところからライナーの導入部は書かれています。通奏低音となるテーマは「かなしみ」。"Sad is beautiful"というフレーズをLiricoはそのマイスペに掲げているのだけれど、僕には言葉でそれを補足説明していく務めがあるのです。

僕が春に、mixiの日記でスコット・マシューを紹介した際に冠したタイトル「悲しみを決して失いたくない人たちに永遠に愛される唄」が、今回のプレスキットやサイトの紹介文で使われています(もちろんその時は日本盤リリースなんて夢物語でした)。なんだか、これを読んだ人で「(悲しみを失いたくないって)そんなの当たり前じゃないw」という突っ込みもあるみたいだけれど、それは全くの勘違いというもの。少なくとも戦後の日本社会は「かなしみ」とそれに付随する「喪失」から目をそらしてきましたし、今もそれは変わりません。<かなしみ>が起こることは必然であり、生きている以上避けては通れぬ道であることも頭の中では理解しているのに、(自分に対する)被害を最小限に食い止めるために思考停止を選択する人々のなんと多いことでしょう。「グリーフ」と「ビリーブメント」に対するケアは日本以外ではしっかりと確立されているのに、こっちではその用語について事細かに説明できる人は少ないのですね。たとえば、フリードリヒ・ニーチェは「悲劇は人生肯定の最高の形式である」と『悲劇の誕生』の中で言っているのに。


僕がタイトルにつけたのはどちらかというと反語的な意味合いも込めていて、「かなしみがなくては生きていけない人たち」ということです。僕はそうですが、皆さんはどうなんでしょう。僕にとっては喜怒哀楽のうち、「喜」も「楽」も、クソどうでもいいですよ(「怒」はとても大切ですけどね)。その二つがやってくるのは365日のうち2日ほどあればいいんです。あとの363日は、かなしみのことばかり考えていますよ。なんかいいことないかな、じゃなくて、なんもいいことなくて良いんですよ。喜びと楽しみを放棄し、こんなもの不必要だと切り捨てたときに、はっきりと見えてくるものがあります。かなしみからはじまるものがあります。

(そういう意味では、二か月前のタマスのライブは究極までにかなしくて素晴らしかったですね。あんなにかなしいライブは人生で味わったことはなかったです。それなりにライブに行ってきたつもりではありますが、断言できます。「いっそ時間が止まればいいのに」ではないんですよ。多幸感はかなしみに覆い尽くされてしまいました。青山グローリーチャペル公演の最後の最後、ノンPAで唄われた"Grace And Seraphim"。葬送曲でもあるこの歌が流れているときに、「今ここで死んじゃおうかな」と本気で考えていました。)

漢字源によると「悲」は「非」と「心」というパーツに分けられるそうです。「非」は羽が左右に反対に開いたさまらしいんですね。だから「心」を二つの羽が引っ張っていることを意味するらしいです。そこから、心が調和統一を失って裂けていき、転じて胸が裂けるようなせつない感じのことをいうようになったそうなのです。

ですが、僕はもっと希望をもった見方をしています。二つの羽によって「心」が空に舞っているようなイメージを。「心」が押し潰されたりするような重圧から解放されるような。かなしみがなくては生きていけないのです。そんな人たちに永遠に愛されるであろう唄、それがScott Matthewの『Scott Matthew』です。

今年の春の日記ではこんな風に書いています。

彼の声に含まれる底なしの悲しさと無限の優しさを共有したり理解できない人は、きっととても幸せなんだと思う。毎日が充実していて、たくさん笑いあって、理解してくれる人々に囲まれているんだ。胸を張って陽の当たる道を歩いてきたんだろうし、これからも歩いていけるんだ。スコットの歌声は、日蔭しか歩けない僕らのような人間にとって、足元を照らしてくれるダウンライト(足元灯)のようなものなんだよね。ささいなことで転んでしまって起き上がれなくなる人間が、そんなことにならないように小さな小さな光を当ててくれる。そこ、段差あるよ。そこに大きな石があるよ。溝もあるから気をつけてね。暗がりの道のなか、その仄かな明かりを頼りにして僕らは蝸牛のような遅さでも進んで行くんだ。でも、彼の歌声によって気づかされるだろう。闇は本当は明るいんだということを。決して真っ暗なんかじゃないんだということを。
| disc review | comments(0) | - | posted by 一本道ノボル
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