千の旋律、千の悲哀、千の記憶Dear Loneliness Leave Me Alone

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愛しているよ。これからもずっと。 08:26
あなたのことが大好きだ。
あなたがいなくちゃ生きていても楽しくなんてない。
あなたが僕を救ってくれた。
あなたが僕を変えてくれた。
常にあなたが僕のそばにいた。
そして、これからも僕の人生はあなたとともにある。





と、臆面もなく書き出したこの日記。愛を捧げたあなたとは、ここでは「雑誌」のこと。雑誌を愛する一人の男が雑誌の未来について憂いでみせる、そんな日記となる。ただの戯言の類の。


雑誌メディアの未来、それは決して明るくはない。その認識からはじめる必要がある。単なる発行部数や広告出稿量の減少にとどまる問題ではないのだ。未来といったって、それはミライみたいな漠然とした先の話じゃなく、2020年前後の近未来に僕は想いを馳せる。
干支ひとまわりだ。



      ――以下はSFまがいの予測――


2007年問題を契機として、相次いで創刊された団塊の世代層に向けた雑誌群の淘汰も終わり、とりわけファッション誌全般に目を向けてみれば、広がり続ける経済格差によって階級別エスカレーター雑誌が定着しているような頃の話だ。それはどのようなものか。近年、とりわけファッション誌においては、プレゼント応募の際のアンケート項目に年収をも記載させる雑誌が増えてきた。これまでは、経年によってある雑誌を卒業すれば、その次は一つ世代を上げた雑誌へという具合に、一社が制作する雑誌群の中でエスカレーター方式に上層へとあがらせていたものが(とりわけ女性誌に顕著だが)、ここに「クラス」という概念も植え込まれていくということだ。つまり、読者に対する年収制限を設けている『LEON』誌であれば、

「20代向け→『LEOS』 30代向け→『LEONARDO』 40代向け→『LEON』 50代向け→『LEOPARD』」

という具合に(20代と50代は架空の雑誌名です)。その時には、現在の女性ファッション誌に跳梁する「クラス感」という文字に別の意味合いが大きくなっているだろう。


そして活字に慣れ親しんだ中年層の漸次的減少(つまりは死んでいくわけだから)、識字率と学力の低下が招いた若年層の慢性的文字離れと、それに伴う国民全体を覆うメディア・リテラシーの欠落は日本全土に蔓延し、やがて作り手サイドにもその弊害をもたらすことは目に見えている。たとえば編集者の知識不足、レベルの高いライターの不足。進化していくであろうデザイン方面の充実とは裏腹に、文字が担っていた「雑」の部分が抜け落ちた無味乾燥な雑誌も多くなっているだろう。かつては高い志のもと旗振り役をつとめた雑誌メディアは、消費者の顔色を伺うだけの「読み捨てられるだけのもの」という存在にまで堕落しかねない。「雑誌」というメディアはこれまで文化を作ってきた。そして、これからも作っていかないといけない使命を有していると僕は思う。いま雑誌文化に携わる人には、脈々と受け継がれた伝統を継承し、未来を担う次の世代にバトンを渡していく必要がある。



       ――以上、SFまがいの予測終了――


僕自身がそんな想いに抱かれている中で、今号の「QJ」における70号記念総力特集「Next Quick Japanese 100」は、次世代へと繋がるその礎になるであろうものだと思っていた。とりわけ、担当したライター諸氏は、自分と同世代の人たちも多いわけだし彼らのお手並み拝見と思っていた。この企画をやる「意義」はさておき、タイミングだけは疑問視ではあったけれど。

中身について書く前にテーゼについて。日本のゼロ年代というものに対して、僕は真正面から向き合っているとは言えない。このディケイドも出口が見えかけた、いまだに。まだずっと90年代を引きずっている。なんとかケリ着けて終わらせようともがいている。hueのナードヒップホップやTamas Wellsといったウタモノに特化している現状も、裏を返せばそれ以外のジャンルの音に対して背を向けるだけの大義名分となっているからに他ならず、それを言い訳として邦楽も殆ど聴かなくなった。その結果引き起こされたものは、完全なる疎外感の発露。当然だ。自分からコミットしなかったのだから。この特集で紹介されている100人(組)の大半を、僕は初めて知った。とりわけ自分にとっては門外漢甚だしい演劇ジャンルにおいてそれは顕著である。


やはり、字数があまりにも少ないと思ってしまった。もし自分が書くとしたら・・・という仮定をすぐにしてしまうのは思い上がりも甚だしい上でシミュレートするのだけれど、自分が好きで惚れこむ題材について、たったの300や600で思いの丈を表現してくれと言われたら、土台無理な話である。ゼロ一つ足りない(僕は、だが)。それでも、そんな制約などものともせず、さすがは物を書いて賃金を得ている人たちばかりだから、表面上の成立はしている。が、ムラが激しすぎやしないか? 熱量と換言したっていい。100挙げられているその全てから、その著者の迸る熱が伝わってくるかと言われたら、読んだ誰もが疑問符を浮かべるだろう。


個人攻撃になってしまうと嫌なので、代表である編集長へ問いかけをさせていただこう。あなたはこれが成功だと思ってますか? あなたがやりたかったことは、この程度に収束してしまうようなものだったのですか? ゼロ年代に徹するために90年代的要素を排除したと仰るなら、どうしてその時代を象徴するような松本亀吉先輩や北沢夏音氏にも執筆を依頼するのですか?(渋谷直角氏はギリギリゼロ年代なのか。彼が編集長を務めた「relucks」は、あれは99年末の刊行だったような気がするけど) その時点で激しい矛盾が生じていることは、御自身も承知していらっしゃるとは思いますが。今回の特集は挿入される対談に救われていると俺は感じてしまった。アレがない形で一気に100を読まされたとすれば、「ゼロ年代」そのものの実態がさらに見えなくなってしまっていた可能性もある、と。対談に登場されている佐々木敦氏が新しく始めたブログの中で、今回の模様について言及されているように、「QJにはオモシロい若い人たちが集まってくるんだなあ」という印象は、個人的には揺るがないまでも良い意味でアップデートされることはなかった。結局、ぐっと来るものを書いていたりピックアップしていたのは、自分よりも年上のキャリアの長い人たちなわけで。90年代的要素を中途半端に排除したことは、粗ばかりが見えてしまう結果になったし、ライターの人選にも不満は残った。QJに縁のある人
を、ということであるならば、元MONSOON編集長の寸くんがいないのが残念であるけれど。この企画に不参加だった彼が、同じ月に出た「STUDIO VOICE」誌のコラムに執筆していた内容は、だからこそ感銘を受けた。久々に雑誌を持つ手に力が入った。

ずっと2000年代が始まった気がしなかったという彼が、その感覚との完全なる決着を着け、新しいエラに突入したことをささやかに宣言する。そこにはあの時代と変わらない彼がいた。70年代後半生まれの人間は、未だずっと90年代を引きずりながら生きている。その感覚は、大なり小なり誰しもが持ち合わせていると思っているし、個人個人で格闘しているのだ。それをひた隠しにしてゼロ年代の提案をされるのは、なんだかやっぱり筋が通ってない気がしてしまう。ライターにこの年代の人が多ければ多いほど、だ。90年代を捉えなおせていないのにゼロ年代というのは、プロセスをひとつすっ飛ばしているのではないかと僕などは思うわけで。まあ、いま90年代特集やっちゃうとSTUDIO VOICEと被っちゃうから避けないといけないのはわかるけれど、佐々木氏は前述のブログで「そんなQJは僕にはやはり今なお「90年代」的な雑誌だと思える」と記されていることからも、自分たちにしかできないやり方でやる必要がある事柄を黙殺してその先を提案されても、読み手に対する説得力は欠落しているのだ。少なくとも今のQJには、ゼロ年代を語るよりも90年代を語る方が圧倒的に得意とする人たちが揃っているわけだし(あの頃の「タダダー!」のコラムに名前を連ねていた人たちに座談会してもらうという企画は面白いんじゃない? 誌上同窓会。司会は吉田大助氏で)。

と、最後にひとつプレゼンをしてこの駄文を終わらせる。雑誌がなくちゃ生きていけない! 毎月毎月万単位の金を雑誌だけに落としてんだよ、こちとら。雑誌の未来を明るくしようよ。そして、これからの雑誌を支えていくであろう編集者やライターを志す若者たちへ。リテラシーを身につけようよ。もっと本を読もうよ。映画を観ようよ。音楽を聴こうよ。知識を増やそうよ。情報の波なんて平気な顔して乗りこなそうよ。世界に溢れる知識は、美しいよ。本すら読まないような頭の悪い同級生に合わせる必要なんて全くないんだからね。孤独をおそれるな。群れることを希望するな。馴れ合いなんて叩き潰せ。友人の喉元にナイフを突きつけるような緊張感と世界に対する怒りを持て。もう老い先短い僕から、君たちに言える言葉は

「Think Alone,Fight Alone,Act Alone」だ。

10年後の君たちの活躍を期待してるから。僕をうならせてくれ。やはり若い人の感性には敵いっこないって白旗振らせてくれ。90年代後半生まれヤベー!って。でも、僕だって負けちゃいないよ。ワカゾーに追いつかれるつもりはさらさらないから。ちんけなプライドだってあるんだ。それはとてもとても大切にしているものなんだ。そういうものを雑誌から教えてもらったんだよ。この偉大な文化を、君たちの手でもっと光り輝くものにしてほしい。そして、俺の棺桶の中には、たくさんの雑誌をつめてほしい。君たちの作ったものもね。素晴らしい雑誌とともに、僕は灰になりたい。そして、リサイクルされて紙になって、さらに素敵な雑誌の一部になれたら最高だね。

ちょっとクサいこと書きすぎたかな。
でも、たまにはこんな日記もいいよね? 
愛しているよ。これからもずっとね。
| coming_out | comments(2) | - | posted by 一本道ノボル
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Comment








「Think Alone,Fight Alone,Act Alone」

それだけで素晴らしい前文と、この言葉への繋がりに、感動です。
posted by FUS | 2007/02/24 12:52 PM |
FUSさん、物凄い遅ればせながらになってしまいますが、コメントありがとうございます!

このような長文を最後まで読んでいただいただけでもありがたいのに、
こんな素敵なコメントも寄せていただき、幸甚の極みです、僕は。

実際問題、日記の最後の方に書いたことは全部自分が10代から20代前半の
ときに経験してきたことでもあるわけですね。で、あのフレーズに辿り
ついたわけで。連帯や共闘がさかんに謳われた時期でもあったので、
余計のことそちらに背を向けて、ひたすらインプットに没頭していた
体験から、「孤高」というアティテュードが持っているユニークさを
大切にしたいなと思ったんです。二人以上になれば、人間は頼りにして
みたり、責任をなすりつけたり、バランスの均衡を保たなくてはいけなく
なったり、政治的関係が生まれたり、模倣したり、何一つとて磨きを
かけられるものじゃないと僕は思ってますので。だから、今の子たちに
届いて欲しいですね。お前等つるんでばかりでうざいよ、って。君が
感じているのは寂しさなんかじゃなく、単なる甘えだよって。
posted by 一本道ノボル | 2007/03/13 9:39 AM |
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